幸か福岡かふくおかひろし

 
 

南北朝時代、伊予大守河野通朝が貞治2(1363)年北朝軍に敗れたとき、一人の禅僧野上人が一子徳王丸を死守し、安芸国三吉浦に奉送しました。
徳王丸は後の讃岐守六郎通堯ですが、三高山頂に山砦の禅門の寺を建て、一門の菩提を弔ったのが始まり。天正2年(1574)年河野利堯が浄土真宗に帰依し、釈浄信と名のり、万谷山(現在盤谷山)徳正寺を開基しました。
現在の本堂は八代達道師により、明和元(1764)年再建されたものですが、本堂入口に刻まれている支那二十四孝物語の孟宗の欄間は他寺に見られないものです。
ご本尊阿弥陀如来の立像は、元禄12(1699)年大仏師康雲の作で高さ65センチのものです。達道師は宝暦10(1760)年親鸞聖人500回忌西本願寺阿弥陀堂落成慶讃法要に際し、浄財を集めるため晨朝(あさじ)法話を始めました。
その時本願寺から授与された仏飯講ご消息(感謝状)が今も残っています。
鐘楼門は総栂造り、その質も姫路城天守閣の建築様式といい、鐘のある二階部分と門の一階部分の柱が異なり、揺れ打にし重心が移動する仕組みになっています。
10代道命師は学徳すぐれ、子弟の養成、浄土真宗教学の発展につくした僧で、死後本願寺より「勧学」の称号を追贈された。境内に頒徳碑が建てられています。